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東洋医学

経脈の流れをみていると、胸腔から腹腔、腹腔から胸腔にいくとき、必ず膈を通り抜けます。

膈とは横隔膜を意図しているのでしょうか。

意図といったのは、古典に置ける蔵府の名称と実際にある臓器が違うことを代表に、身体の各部の名称と東洋医学に置ける名称が微妙に違うことがあるからです。

しかも、横隔膜は人体の裏部(内部)にあるものです。古代の中国人が意外に解剖に通じていたというのを差し引いたとしても、果たして、膈が横隔膜そのものを指したかどうか、少々疑問を感じるからです。

しかし、精査してみると、やはり膈は横隔膜でしょう。

ただし、膈という文字には、単に横隔膜という器官を指すのではなく、横隔膜の持つ機能をも包含した形でイメージしているような気がします。

古代中国人は、先にも述べたように解剖に通じていました。しかしその解剖は死体です。

人体の機能に関しては、詳細に人体を観察し古代中国思想の理論に当てはめながら体系化したものです。

膈という一文字には、解剖学的な横隔膜とその機能が含めて考えられているように思います。

というのは、単に経脈が突き抜けるだけならそれほど記述する意味があまり感じられないのに、突き抜けるたびに、膈を貫くと書いているからです。

膈を貫く。

このことに、非常に重要性を感じていたからこそ、たびたびこの言葉を書いたのではないでしょうか。

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