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東洋医学

五志

東洋医学では、五蔵に心の働きを当てはめる。

元々支那の思想には、物質的なものと精神的なものとの区別が曖昧だ。これは日本人にはわかりにくいが、支那の古代思想では、心の深層、たましいを「魂」と「魄」に分ける。魂は肝に宿り、死ぬと天に昇る。魄は肺に宿り、死ぬと地に帰る。魂はふわふわと精神的なものだが、魄はより物質的なものだ。日本人のように魂一筋では考えないのである。

そのように、こころの働きも、より物質的な蔵に配当する(蔵府は実際にある臓器と違い、機能を分類したものなので、完全に物質的とは言えないが、古典にもあるように、古代支那人は、実質的にあるものと夢想したようである)。

では五志の「志」とは、改めて考えるとなんだろうか。

大漢和辞典によると、こころざしとあり、心の之き(ゆき)向かうところをいうとある。志とは、心の変遷そのものなのである。


すなわち、心には喜を、肝には怒を、脾には思を、肺には悲を、腎には恐を配当した。各々の感情は、人間における根幹をなすものである。そのこころの之き向かうところを五蔵に当てはめたのである。

五志は素直な感情である。人間である以上、これら5つの感情を持ち合わせる。しかし、それが過ぎると病となる。感情が過度になると、各々の蔵をむしばむのである。あるいは逆に、蔵に問題が生じると、それぞれに配当された感情が移ろい過度になることもある。

従って東洋医学では、五蔵の働きを治すと言うことは、五志も平生にすると言うことであり、感情を統べることは、五蔵をも平生にすると言うことになる。

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