ブログ

ブログ
身体

気の実在・2

気は存在する。

治療をしていると、いえ、気に「気をつけながら」治療をしていると、その気の実在感をありありと味わうことができます。

しかしその「ありありと」も、日によってはきわめて微弱であったり、時には全く感じなかったり、或いはきわめてすばらしく感じたりと日々様々です。これは多分の僕自身の体調やら、患者さんご自身の体調やらに起因するものと思いますけれども、そんな中でも、できるだけリアルに気を感じようと努力しながら治療にいそしんでいます。

よく考えると、ものの実在はあくまでも実在感でしかありません。形、色、におい、音、触感などは我々の感覚器がもたらすリアル「感」にしか過ぎず、そのリアル感をリアルだと思い込んでいるだけなんですね。つまり本当は実在「感」という感覚にしか過ぎないんだけれど、実在していると漫然と確信しているにしか過ぎないということです。

治療家が気について感じるとき、気の実在感を味わうときも、実際にはリアルだと思っているにしか過ぎません。

ただ、気というものは大きい。

我々は世界の中に存在していなければその存在はないのですけれど、言い換えれば、世界があるからこそ存在できる訳なんですが、気というものは、その世界に充満している存在物なんです。いわば世界そのものといってよい。

治療家が患者さんの身体で気を感じ取るとき、患者さんの身体という小さな一片の中ではあるけれどそれを通して同時に世界をも感じ取っているといってもいいでしょう。

ですから、一般の方が気を感じ取れないといっても、それは世界の存在感を感じ取れないだけであって、つまり、一般の方が気の存在を信じないといっても、それは広大無辺な世界の存在感を感じ取れないだけのことではないのかと思うんです。

我々治療家は幸福です。世界の実在感を気を通して味わうことができる。気を感じること、気の実在を感じることにより、世界を実在できるんです。

よろしければクリックをMR按摩鍼灸のブログ

RECOMMEND