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鍼灸・按摩・マッサージ

羽山式治療法1ー天地の発見

存在論的に考えればいろいろの方法があるだろうが、古代中国人ー今の漢民族かどうかは知らないーが、天と地を発見したのはすごいことだと思う。

人々はあるとき、天と地があり、その中に人が生きていることを発見した。

天がある、地があると言うことは、それを観察するものの自我が芽生えたと言うことである。

ある存在するものが確かに存在するのには、存在を認めるものがいないといけない。Aという物体が存在するとき、そのAを認識するものがいなければ、Aは存在しないに等しい。いや存在しない。存在の「在る」を認識するものがあって、初めて存在は「在る」のだ。

古代、人々はただ生活をしていた。ある瞬間世界が天というもの土地というものに分化し存在していることに気づいたのだ。その瞬間こそが天と地が「在る」ことを始めたとき、天と地の創造である。

天は、人がそれを天と認識しなければ天ではない。地は、人がそれを地と認識しなければ地ではない。人はその「天と地」を違うものとして認識していた。天と地は違う存在なのである。

では人はどうか。人の存在は?人は天地の中にいるというと言うことは何を意味するのか。なぜ人は「生きている」のだろうか。天地の発見とともに人は人自身の存在を考えた。

人は天を認識して天が存在したように、人が地を認識して地が存在したように、人は天があるいは地が、その人自身を認識しているからこそ存在できるのではないか。人は天が、地がその存在の存在を認識しているからこそ在るのである。

同様に天と地それぞれはどうであろうか。天は地を認識している。その結果地は在るようになった。地は天を認識している。その結果天は在るようになった。天地思想の始まりである。

げんき本舗治療院

院長・羽山弘一

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